記憶は気のせいかもしれない。

記憶は気のせいかもしれない。

こんにちは!

しばひでです。

今日は自分の記憶に関して話していきます。

あなたは記憶というと何を思い出しますか?

この記憶というのは実は気のせいの時も
あったりするんです。

記憶というのは、感情が伴った時に
作られたりします。

その時の感情です。

怒り、喜び、悲しみ、楽しみですね。

特に怒りや、悲しみの感情は記憶に残ります。

でも、その時に自分の感情で記憶されていたものが実はそうではなかったという時もあるのです。

例えば、小さい時にハイハイして
ものを取りにいこうとしていた時に、
そこにあるものを取り上げられたとしたら、
その子は自分が手入れたいものが
手に入れれない。
だから目標が届かないという記憶が
作られてしまうのです。

でも、そのものを取り上げたのは、
お母さんが危険だと思うものだとしたら?
お母さんは、危ないと思ったから、
守ったのですよね。

そこでお母さんの思いを知るから、
その記憶は書き換えていかれます。

要は勘違いなことがあったりするんです。

僕は小さい時に、
お父さんが酔ってる姿が嫌いでした。

それはなぜか?
お母さんの機嫌が悪いからです。

なので、僕は家に帰った時にお父さんが酔ってないか?
顔色を見る癖がつきました。

そしてお母さんもです。

お母さんが機嫌良いのか?悪いのか?
そのちょっとした顔色を伺うのが
癖になり、ちょっとした変化を感じることが
できるようになりました。

今はそうではないですが、
昔はよく人の顔色を伺うことがありました。

そして、一瞬で雰囲気が変わる、
その変化を捉えるようになりました。

その裏には僕はお母さんの笑顔が好き
だったってことだったんですね。

それだけお母さんのニコニコが好き
だったんです。

そのように自分の記憶というものは、
感情が関与しているということです。

もし、小さい時の自分が思っていた記憶が今を作っていたのだとすれば、
お母さん、お父さんに聞いてみてください。

僕はもうお母さんがこの世にはいませんが、
聞きたいこともたくさんあります。

でも僕を産んでくれて、
これからの人生、僕はお母さんにもらった
ものを世に返していきます。

今日は記憶に関してのお話しでした。

では、また。

ありがとうございました。

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