使命さがし
母との確執
母から産まれたことを後悔しているか、
感謝しているか問われたことがあった。
そんな事を考えたこともなかった。
老いた実家の母には感謝もしてるし、大事にもしてきた。
一緒に旅行にも行ったし、多少の贅沢もしてきた。
私と母との関係は至って正常だと思っていた。
しかし、最近違うかもしれないと思いかけていた。
でもそういう感覚は蓋をして忘れようとしていた。
母は贅沢な育ちで気位が高い人だ。
本人はそのつもりは無いが、私が感じるにそうだ。
お金が無いと言いつつ、結構贅沢な物を買い揃えていた事も知っている。
当時高かった美顔器、洋服は百貨店で買うし、100万円の下着を何着も。
保険営業をしていて、保険に加入してもらったお礼に、
買わざるを得ないと言っていたが、
当時高校生の私でも、それが行き過ぎていた事は感じていた。
何故そんなことができたのか。
早々に答えを言うが、祖母から生活の支援を受けて
できた余裕で贅沢をしていたんだ。
その祖母の収入は年金と経営者である、叔父からのお小遣いだった。
「嫁ぎ先から帰って来てるのだから仕方ない、
あんな嫁ぎ先を用意したのは親戚と親だ。」
苦しんだのは自分であるから、少々甘えても許されるという考え。
そうやって頼り癖のついている母は、
前述の贅沢は生活費を分担していた私の稼ぎから出すことを快諾。
私も親孝行ができると喜んでいた。(しかし母の頼り癖は更に続く)
この辺ではっきりと確信を持たれたと思うが、
我が家は私が7歳の頃から母の実家に戻り、父不在だった。
その4年後、母は父と弁護士を通じた離婚をしていて、
その原因は父の○的DVだと、大人になってから聞かされた。
抱いたのは、父に対する強烈な嫌悪感だった。
それを抱いたまま、大人になり、結婚をし、子どもにも恵まれた。
そして、子育てのゆとりが僅かにできた頃、
母から大量の荷物を預かる羽目になった。
その中から凄い物が出てきて、私を惑わすことになる。
確かに母は私に言った。
「タンスの上の方は貴女に関わる物はないから見ないように」と。
しかし、整理しようとあるとき思い立ち、「それ」を見つけてしまった。
父の写真と、結婚式の父母親戚一同の写真や私の赤ちゃんの頃の写真も。
始めは父の懐かしい、私にそっくりな顔を見て、
なんとも言えない、でも何かを感じる感覚があった。
熱いのか冷たいのか、懐かしいのか、甘えたいのか嫌悪なのか。
グッとこみ上げるが、表現のしようがない感覚だった。
―――― その後だ ―――――
父の言葉を残したメモ帳を見つけたのは。
離婚調停に4年掛かった母。その時は父が徹底的に抵抗し、その思いを弁護士に伝え、母は聞かされたようだった。
「君は間違ってる。
僕が何をしてしまったのか、全くわからない。
君は僕から宝物を奪ったままだ。
返して欲しい。話を聞いて欲しいし、君もちゃんと話して欲しい。
帰って来て欲しい。」
という言葉が連々と残されていた。それを何度も。
そしてそのたびに帰る事は決してない。
と撥ね付けていたことも知っている。しかも保身の為に、弁護士を通じて。
ここまで知ってしまった私が、どう思ったか想像できるだろうか?
「隠してたのか ―――――― 。」
と一人呟いた。
母は父の言葉を知っていながら御身大切のために捨てることもせず、見返しもせずにただ、隠していた。
自分がどれだけ打ちひしがれて体調を壊して実家に戻ったか、幾度も聞かされた。
しかし、父は母の思いや考えを、何も知らされてなかったのだ。
自分の○的な行為がいかに妻を傷つけていたかということも。
そして母は、その手帳に綴った思いも踏みにじって、隠し続け、
私には自分の辛かった体験だけを伝え、
一方的に父が悪かった事に仕立て上げた ―――――― 。
母は狡猾だ。
弱いフリをして作戦を練る。真っ向主張することなく、周りが動くのを待ち、
人のせいにする。
弱い人間のすることよ、と胸にしまい、母に打ち明けることもなかった。
年月が経ち、3年前に父はこの世をひっそりと去っていた。
見送ってくれたのは、老人施設の方と再婚した妻と実子。
私に知らせが来たのは、亡くなって1年が経つ頃。
相続の件で意思表示が必要だからと、市役所の人が親族と協力して私を探してくれたと聞いた。
その手続きは実家に居る弟にも必要だった為、市役所から書類が郵送されていたが、
距離が私の方が近かった為、先に到着していた。
だから、突然そのような郵便物を見なくてもと思い、母に電話して話すことにした。
というよりも、それについて話したかったんだと思う。
きっと人間的に、まともな返事があるだろうと期待した。
事実は、父が亡くなったと母に伝えたら、なんと、母は泣きだした。
目が回る、苦しい、しんどい、と私に訴えて。
そこで抑えていた私の憤りが、一気にこみ上げて怒鳴るのを我慢していた。
あの様な強引な離別をしておいて、子どもにも会わせず、
孤独に追いやった張本人が、何故泣くのかと。
懺悔だともいわず、ただただ、涙が出る、どうして?
と私に訴え、私がかける言葉を待っている。
腹が立って仕方が無い。
電話ではなく目の前でそういう反応をされていたら本当に怒鳴っていたかも知れない。
しかし、母はこの時高血圧と鬱病を患っていた。
それに私の価値観と母は全く真逆だ。
あくまで、自分の心体では無い人の表現であると、理解して宥めた。
そうして私の中でできていた溝がより一層深まっていった。
「絶対に理解できない相手」だと位置づけた瞬間だったのかも知れない。
母から産まれて感謝しているか、私など産まないで居てくれて良かったかと問われたとき、
思考が停止した。産まないで居てくれたら良かったときっと思春期には思っていたと思うし、
この人が母で良かったかどうかと言うより既成事実だから、そんなこと考えない。
しかし、こういう母でこういう生い立ちだからこそ、その母を反面教師にして、
かなり自立心が強い人間になった。
そして、物事を考える癖も付いたし、嘘はいけない、狡猾は嫌い、
そして、できるだけ素直で居ようとしている。
そういう私の性格は強力で、誰に曲げられることもなく、
不器用と言われても、きっと強い。
強さとはこの間まで、ただただ表面的にコーティングされているような強さだった、と自分では感じている。
相手に切り込まれないように隙を見せないように、舐められないようにする
強固なエアー剣とエアー盾を装備している。
しかし最近の私は、そうではない。
ただ、自分が楽しく居たい。
だから相手にも楽しく居て欲しい。相手が楽しくないと自分も楽しくない。
笑われても、そういう見方もあるのね、と軽く後ろへ放りやる。
そういう器用さがやっと身についた。
私の使命はきっと「楽しくしていこう!」だと思う。
それとお金は大好物!これは決してブレない自分軸だ。
この実例から学ぶにはどう捉えてもらいたいかというと、
「げんご化」できないと周りを不幸にする、ということ。
言葉や思いのすれ違いで人生の大きな舵切りを見誤る事が
多々ある。
何が正解で間違いかなど、誰にも分からないし、○も×も人の数だけ
答えがある。
【yuki.chまとめ】
目には見えない思いを形にしたものが「げんご」です。
せめて、自分を大事に思ってくれる人には、
自分の心を形にして見せてあげる=「げんご化」をする。
ことで幸せにしていけるし、自分も幸せになっていけるのです。
だから、考える癖、物事を例える表現力や世の中を知ることで、
その力はどんどんついてきます。
私はこのげんご塾で学んでその力を徐々に付けてきて、自分に足りなかった事に気づきもしました。
全く知らなかったビジネスの考え方や世の輪廻も知ることができました。
力のある者は、人を支えたり、リードすることができ、正しい指導者は世を導きます。
私の軸は「お金」=人助け、自分助け、生きる源だからです。
そして使命は「楽」=ラク、ガク、たのしむ。です。げんごの力で幸運引き寄せ!そして私の周りから波紋の様に「楽」が広まっていきますように、これからも学びは続きます。
それでは、ありがとうございました。