笑顔で 見守る
毎日、テレビの報道や新聞のコラムで児童虐待について
目にしたり、耳にしますよね。
何故 なくならないのか?
切なくなってしまいます。
虐待を受けた子どもは、成長や
発達にさまざまな悪影響が出て、後々まで 傷あとを残します。
身体的な影響だけでなく、精神面でも深刻な影響が及び、攻撃的な性格から非行に走ったり、自己肯定感の欠如から人間関係の構築がうまくできなくなったりという結果に繋がりますね。
そもそも虐待とは?
・心理的虐待…暴言や罵声を
浴びせる。おどしや拒絶、
無視。
他の兄弟との差別などの行為
・身体的虐待…子どもの身体に傷
をつけるように殴る、蹴る、
火傷を負わすような暴力行為
・育児放棄…食事を与えない、
不潔な衣類を着させるなど、
衣食住にかかわる必要な世話
を怠る などの行為
・性的虐待…性行為の強要、
性的な 暴力、性的な行為を見
せるなどの行為
子どもを適切に扱わない行為は
虐待といえるのです。
虐待を受けた子どもは、健全な
成長ができない場合が多いです。
受けた虐待の種類や年齢、性別、性格などで個人差がありますが、
虐待を受けた子どもに現れやすい特徴とは?
・身体的、知的発達の遅れが出る
十分な食事や栄養が与えられないために発育不良。
頭を殴られる、蹴られるなどの頭部外傷が原因で脳や神経系に障害が起き知的障害。
身体的・知的発達の遅れが見られる子どもが多い傾向にあります。
・愛着障害、人間関係の構築困難
人を信用することができなくなり、人間関係の構築がうまくできなくなります。
また他人の大人に対して
べたべた甘えたり、良好な人間関係を作れなくなっています。
・非行、攻撃的な性格
親から受けた暴力を克服しようとして暴力的な性格になったり、
親からの暴力をトラブルの解決方法として学習したためにトラブルが起こった際に暴力をふるったりと、攻撃的な性格になることがあります。
攻撃的な性格のまま成長すると、
非行に走ることに繋がる場合が多いと言われていますね。
・自己肯定感の欠如
子どもは親から愛され慈しみを
受けることで、社会や人に対する信頼関係が構築され、
共感性や道徳性の発達の基礎が作られるといわれています。
虐待を受けた子どもは、人や社会に対して信頼関係を築くことができずに、自分に自信を持つことができなくっています。
そのため劣等感や虚無感が強くなり、自己肯定感が低くなってしまいます。
保護者からの虐待という行為は、
子どもの健全な成長や心身の発達にさまざまな否定的な影響を及ぼします。
虐待による心の傷は大人になっても癒えることはありません。
犯罪者の多くは子ども時代に虐待を受けていたというデータもあります。
虐待や怒りをぶつけることでは
問題は解決しません。
殴る、怒鳴るというしつけの方法では、子どもはその場では言うことをききますが、同じ失敗を繰り返します。
本当の意味でなぜ叱られたのか、
どうすればよいのかを理解できていないからです。
しつけと虐待の違いを意識して
子育てをしたいものですよね。
誰しも親ならば、子供の健全な
成長を望んでいます。
お腹の中にいる時は、
元気で生まれてきてねって
願ったものですが、
いざ生まれたら、思うように
育児ができないと
イライラして ツイって経験は
ありませんか?
本当に、親って勝手だと思いますね。
でも、ほとんどの親が子供と一緒に成長しているのです。
では、虐待をする親ってどんな親でしょうか?
最近 毒親って言われますよね。
明確な定義はありませんが、
一般的には、子どもを支配したり、傷つけたりして、子どもに
とって「毒」になる親のこと。
スーザン・フォワードの著書
『毒になる親 一生苦しむ子ども』が話題となり、
この本をきっかけに生まれた俗語だとされています。
毒親とは
過干渉、
過度な管理、
支配、
価値観の押し付けなど。
子どもにとってストレスとなる
ような言動から、ひどい虐待行為まで「毒」であると指摘される親の行動の範囲はさまざまです。
たとえば、子どもに暴力を
振るったり、愛情を注がず罵倒
したり、無視したり、養育を放棄したり、性的虐待を行ったりと、子どもに深刻な悪影響を与える虐待行為をするのは、
ひどいレベルの毒親ですね。
こうした誰の目にも明らかな
虐待行為ではなく、
子どもの個性を認めなかったり、子どもの気持ちや考えを軽視したり、子どもが安らぐ家庭環境を与えないことも 毒親と言えますね。
毒親のこうした態度に翻弄された
子どもは、大人になってもその
影響が色濃く残ることが多く、
他者との関係性など、
その後の人生において毒親に
端を発する悩みを抱えていくことになってしまいます。
親が軸をどこに置くかで、
子育てはすぐにバランスを崩してしまいます。
毒親系は、自分も可愛く
子どもも可愛いという両方に当てはまるパターンで、子どもを
親自身と同一化して捉えている ことが多く、不健全なパターンに陥ります。
なぜこのような現象が起こるのでしょうか?
母子の距離感の取り方は、誰にとっても難しいものだからですね。
母と子は妊娠中の心身一体状態からスタートし、生まれてからもしばらくはいつも一緒の時期が続きます。
その一方で、子育ての最終的な
ゴールは、子どもを一人前の大人にすること。
つまり、母子の距離感は、妊娠中から20年ほどで、驚くほど変化をしていくのです!
子どもが小さいうちは、日々の忙しさに流されて、母子の距離感を客観的に見つめるチャンスはなかなかありませんよね。
可愛さのあまり、つい距離感ゼロになってしまうことも多々あります。
そんなときは、ぜひ次の質問を自分に投げかけてみてください。
「子育ての最終ゴールは何だろう?」
日々の忙しさから、一歩引いた
見方をしてみませんか。
子どもには子どもの人生がある
親にも親の人生がある
ということですね。
決して、子どもを見放すことではありません。
子どもを認めて、信じているからこそできること。
子どもも親も自分の足で立ち、
自分の足で歩く習慣をつけていき
ましょう。
子どもを持ってはじめてその事実に気づき、
「自分がそうやって育てられて辛かったから、自分はそうなりたくないんです!」と
親磨きに励む方もいます。
「自分の親のことは変えられないけれど、自分のことは変えられるから」と反面教師になって頑張っるのです。
そんな親達の強さには、お子さんへの並々ならぬ愛情があふれています。
「変えられないことに目を向けるよりも、変えられることを変えていく」
とても前向きな考え方ですよね。
親になって、自分の母親との関係性に悩む方もおおいですよね。
自分が親にされて嫌だった事を
子どもにしないことです。
子育ての難しいところは、
どこまでが適切なレベルで、
どこからやり過ぎなのかという
明確な一線がないこと。
同じ事を親がやっても、
子どもによって感じ方も違いますよね。
「過干渉はしたくないけれど、
愛情はたっぷり伝えたい」という親におすすめなのが、
「見守り育児」です。
見守り育児とは、子どもが何かに
取り組んでいるときに、
親はちょっと離れたところから、
温かく見守ってあげること。
子どもが「ボクがやるの!」というときは、
親の「手」を借りたいとは思っていないのです。
親が見てくれている安心感の中で、自分ひとりでやりたい
のです。
だから、このとき親が子どもに貸してあげるのは、手ではなく、
「温かな視線」や「笑顔」です。
少し離れていつも自分を見守ってくれる親の笑顔や視線なら、
いくらあっても過ぎることはありませんね。
少子化の世の中 健全に子どもが
成長することを 祈っております。