神秘的な山
この日、私は人生で初めて
と言っていいくらいの、
神秘的な体験をしてきました。
それは、神が宿る山、日本7霊山の1つ
石鎚山の山登り。
目的は、その頂上にある「石鎚神社参拝」
私はその日を無事に迎えられたことが、
ほんとに嬉しくて、神様に導かれたんだと感じています。
以前の私なら、何の迷いも不安もなかったけど、
私はその日を迎えるまでに不安と戦っていました。
今年に入って、膝を痛めてしまい、
痛みで動けないくらいの体験をしていたから。
その膝は、よくなったり痛みが出たりで、
なかなかすっきり治らなかったのに、
4月半ばになって、ようやく痛まなくなっていたんです。
「やった!これならいける!!!」
そう確信できた瞬間、心がウキウキしていました。
そして、たくさんの奇跡や今までにない
神秘的な体験をすることができました。
朝、起きた時にはすっきり見えていた遠くの景色が、
登り始めるころには、靄がかかって周りの景色は
見えなくなっていました。
高いところが苦手な人には、下の景色が見えなくて
登りやすいんだそうです。
その雰囲気が、とても神秘的。
私は高いところが好きだから気にならないけど、
その雰囲気を楽しみながらどんどん歩いて行きました。
そして、歩き始めて1時間ほどたった頃に、
階段や岩を登って行って、まだまだ先は長い、
ほんとに頂上まで登れるのかと不安が襲ってきました。
体力と膝の不安から、ここに来るまでの
自分と向き合い、これでよかったのかと
後悔の念が強くなって、心折れる瞬間がありました。
ただ、その後は少しづつ身体も慣れてきて、
時々休憩しながら、どんどん進んで登っていきました。
登りながら、ここでも性格が出てくるんだと
感じました。
先導してスピードを出してどんどん進む人、
みんなを気にしながら全体を確認して声をかける人、
自分と戦って必死について行く人、
山登りは人生と同じと言うけど、
山あり谷ありで、登ったり下ったりしながら、
でもちゃんと前に進んでいくんです。
そして、一番の難関の鎖場!!!
ここで私の中で葛藤がありました。
「ほんとはみんなと一緒に登りたい!!」
「でも、もし膝が痛くなって動けなくなったら、
みんなに迷惑をかけてしまう。」
と思うと、言えなかったです。
その時は、少し後悔のような感情が出てきました。
ただ、鎖場を登る時に、邪魔になる杖や、
重心が後ろにかかるようなリュックは、
落ちる危険があるため、
下を歩く人が変わりに持って登るんです。
その時自然と私の役割だと感じました。
それを、いつもやっている人がいることにも、
感謝だなと感じました。
その人は、さらっと「鎖場は登った事がない、
いつも一緒に行く人を先導するから」
って言っていたことに尊敬の念を感じました。
みんなが安全に登るために全体を把握して、
自分のことより周りの人を優先していることを知って、
今回の私の石鎚登山は、それを知るためだったのかと
感じました。
そして、その鎖場と同じくらい過酷な階段が
待っていました。
最後の30分が一番しんどいと・・・。
鎖場は、急な斜面を登り始めると後悔しても戻れないけど、
がんばった分早く着くんです。
階段は登っても登ってもなかなか進まない感覚。
でも、脚が限界だと感じても少し休憩したら、
また登って行けるんです。
大切な仲間の荷物を持っていても、
ちゃんと登って行けるんです。
何かに、導かれるように確実に前に進んでいく。。。
そして、年配の神社関係者の方が
「なんまいだー」「なんまいだー」と掛け声を
かけ合いながら、どんどん登っていきました。
そこにも意味があって声を出すことは、
アウトプットすることと同じで、
エネルギーを循環させているんだと教えてもらいました。
そして、やっとの思いで頂上に着きました。
その時ものすごい"達成感 "を感じました。
頂上は、雲が下にあって不思議な感覚。
相変わらず靄がかかって周りの景色は見えなかったけど、
なんとも神秘的でした。
そして、頂上の石鎚神社での、
開門祭に参列して、神様に挨拶をしてきました。
なんとも言えない感覚。
ものすごいパワーを頂いてきました。
私は、その神様に導かれて頂上まで
登って来れたことをそこで確信しました。
そして、開門祭が始まってから奇跡が。
少しづつ光が差し始めて、時々周りの景色が
顔を覗かせてくれるようになって、
開門祭が終わるころには、靄がスッと消えて
待ってましたとばかりに
壮大な景色が姿を見せてくれました。
もう、みんな写真撮りまくりです 笑。
景色を堪能して、お昼を食べてパワーをつけて
下山することに。
山を下りだすと、登りとは違って、
すいすいとスムーズに下って来れました。
途中また、いろいろなことに気づいたり感じながら…
そして膝も痛むことなく、みんな無事に返って来れて、
ホッとしていました。
ホットしたのも束の間、
私はと言うと、そこから大阪まで車を運転して
帰ってきました。
途中までは2人だけど、そこからは1人。
心配そうな仲間に見送られながら、車を走らせて、
絶対眠気に襲われると思っていろいろ対策を考えていたけど、
不思議と家につくまで眠くならなかったんです。
興奮していたような感覚。
私は、帰り着くまで導いてくれた神様に
守られてたのかなって感じました。
そして鎖場での自分の選択をマイナスに捉えるのではなく、
そこにはすべて意味があって、
私の選択は間違ってなかったと今なら言えます。
私がもしケガをしたら、もっと後悔していたから。
進む決断も大事だけど、やめる決断も時には必要だと・・・。
これからも自分の直感を信じていこうと思います。
最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。