始めての山登り
登山経験がなく
期待と不安があった。
自然界に入ると
仲間はいたが、孤独との戦いであった。
自分を信じて 進むしかなかった。自分のペースで。
よく、山登りは人生に喩えられる。
山あり谷あり、平坦な道があり
ぬかるんで足場の悪いところ。
一歩 一歩確認をしながら進んでいく。
次の一歩は、何処に下ろせば良いのか?
歩き方も変えなくては いけない。
大きく足を上げる時
重心を低くする時
その場に応じて 変えなくてはいけない。
そんな事を考えていたら、
ズルっと 足が滑った。
山の神さまからのお告げであった。
邪念を捨てて 無心に歩けよ。
そうだ!無我の境地で進もう。
山の天気は 変わりやすい。
霧は 心のモヤ
雨は 心の涙
太陽は エネルギー
風は 体温の変化
だと、感じた。
モヤを晴らして、涙を捨てるために 歩み続けた。
自分との戦いではあるが
それを支えてくれる 仲間が
私にはいた。
"大丈夫?"との問いかけに
"オッケー"と、手を降り 笑顔で応える。
登り続けて行くうちに
山の洗礼を受けた。
息苦しい、動悸がする
酸素濃度が低くなってきていた。
今までの 呼吸法ではいけない。
鼻で吸って
2〜3秒かけて ゆっくりと口から吐く。
深呼吸をしないといけない。
ゆっくり ゆっくり
と、自分に言い聞かせて
深呼吸をした。
心も体も落ち着き始めた。
自分の、身体の声が聞けて良かった、安堵した。
鎖場
修行用の鎖だから険しく厳しい
石鎚山には下から
試の鎖(74m)、
一の鎖(33m)、
二の鎖(65m)、
三の鎖(68m)の4つの鎖場があるこれらは登山用に設けられたものではなく、修行のためのもの。
どの鎖場も垂直に近いような岩場をまるでロッククライミングのように登っていく。
仲間に混じって
この鎖場を登ることを志願した。
無謀な挑戦であった。
さらに、自分を信じて
腕力・脚力、インナーマッスル
を使い登った。
途中で後悔もしたが
後悔先立たず であった。
後には 戻れない。
上に上に 進むしかない。
足もとをしっかりと確認をしながら 指の置き場所、足の置き場を考える。
ふと、顔を上げると
仲間の暖かい眼差しがあった。
アイコンタクトで
"頑張れー!"
と、応援をしてくれていた。
先人の足跡を確認をしながら
進んだ。
無謀なチャレンジであった。
今までよりも、自分を信じなければいけなかった。
仲間に支えられて、登りきった時の感動は、表現できないもので
あった。
いくつになっても、チャレンジ精神を持とう。
諦めなければ 道は開ける。
この鎖場を登って より明確に
なった。
山登りには、ルールがある。
挨拶をする
お登りさんを優先して道を譲る
混沌した世の中だからこそ
相手を思いやる気持ちを持ち
自分から 挨拶をする
少しでも、過ごしやすい 環境を
作っていきたい。
自然界においては、人間なんて
ちっぽけである。
孤独ではあるけれど
自分軸を持ち 諦めずにチャレンジすることで、必ずそこには
応援してくれる人がいる。
暖かく 見守ってくれる人もいる。
そんな、暖かい気持ちになれた。